1940年代のアメリカ農業
1940年春、ジャック・シンプロットはカリフォルニァ州バークレーまで車をとばしました。
その地域のタマネギ輸出業者が、まだ支払いは済んでいないが、なぜ屑(あるいは不合格品の)タマネギに8400ドルもの値をつけたのか、その理由を確かめるためです。
もちろん金も欲しいですが、相手がタマネギになぜこれほどいい値をつけたのか、そのことが知りたかったのです。
早起きをして、でこぼこ道をアイダホからカリフォルニアの海岸沿いに1日がかりで車を走らせました。
その夜遅くバークレーのホテルで車を停め、翌朝8時にその輸出業者の所に着きました。
オフィスの女性はボスは来ていないと言いました。
結構、来るまで待とう、とジャックは言いました。
2時間後の10時に、ひげ面の老人が入ってきました。
これが債務者だと思ったシンプロットは近づいて声をかけましたが、彼はソーコールといって、オニオン・フレークとオニオン・パウダーが期日に届かないわけを確かめにきたのでした。
2人はそろって腰を下ろして正午まで待ちましたが、それでも輸出業者はやって来なかったのです。
昼を過ぎた頃、シンプロットの頭に突然ある考えがひらめきました。
彼はひげもじゃの老商人をバークレー・ホテルまで昼食に誘いましたが、これが彼の運命を決めることになりました。
「あなたはオニオン・パウダーとフレークを求めておられますね」とジャックは言いました。