1940年代のアメリカ農業 4
シンプロットは再び借金の工面をしなければならなかったのです。
最初、彼はパーマの町に腰をすえ、初めて乾燥タマネギを生産しました。
しかしそこは出荷には地の利のわるい場所でした。
結局、彼は町長の調停を頼んで、アイダホ南部では最大のタマネギの産地の真ん中にあるコールドウェルに適当な土地を準備しました。
その土地は町の西方ニマイルのところを通る鉄道線路に接し、ワイルダーに至る道路沿いにありました。
ここにジャック・シンプロットは、灰色のコンクリート・ブロックと鉄と木材で、悪臭を放つ工場を建てました。
その工場は地元では〈涙の家〉として知られるようになりましたが、名前の由来は説明するまでもないでしょう。
4基の石油炉、送風機、スライサー、フレーキング、粉砕機および包装機械を備えたこの建物は、やがてその地域から隣のオレゴン州におよぶ農家に嬉し涙を流させたタマネギ・ブームの中心となりました。
低級品のタマネギにも買手がつくとなれば、農家はきずもの無しと保証のついたものにはこれまでより高い価格をつけることができるわけです。
・・・かくして、アイダホ産のタマネギは一挙に高級品となりました。
しかし潤ったのは農家だけではなかったのです。