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      <title>読見な日々</title>
      <link>http://smartdecision.info/</link>
      <description>マニアックな雑誌を立ち読み</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>安保理の拒否権</title>
         <description>拒否権については、ソ連が乱発してきたというイメージがはびこっていますが、現実に拒否権が行使されたケースをみると、必ずしもそうとはいいきれないのです。


ベーリーの研究によりますと、1986年12月31日までの期間で、全部で203の案件について、常任理事国が242回拒否権を行使したということです。


ひとつの案件に2カ国以上が拒否権を発動する場合もありますから、203の案件で242という数字が出てきます。


その内訳を見ますと、戦後最初の20年間・・・


すなわち1946年から65年にかけて、全部で111回の拒否権が行使されています。


そのうち103回がソ連で、あとはフランスが4回、イギリスが3回、中国が1回、アメリカはゼロとなっています。


ところが、残りの21年間(65年から86年)をとると、119回の拒否権行使があった中で、中国が21回、フランスが12回、イギリスが23回、ソ連は18回、アメリカは57回になっていて、ソ連自体はフランスに次いで少ないことになります。


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         <pubDate>Thu, 12 Jan 2012 16:41:38 +0900</pubDate>
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         <title>わたしとドイツ　3</title>
         <description>日本人の中には、何となく戦争中を引っ張って戦後を歩いている人がおり、ドイツ人と比べると、日本人には戦争に対する反省に乏しいということがいえるのではないでしょうか。


日本と違って、戦後の西ドイツが非常に力を入れてきたのは、住宅と年金です。


いちばんのポイントは、年金生活者の問題にあらわれています。


西ドイツには、インフレーションに対する根強いアレルギーがあります。


彼らは2つの世界大戦の両方に負けて、おそるべきインフレを経験しているのです。


リュックいっぱいに札束を入れて買い出しに行き、ジャガイモにかえたという苦い経験があるから、インフレだけは困るぞ、という主張は徹底しています。


年金問題も、問題の端緒もそこにあるといえます。


そこで、歴代の政府は物価の安定に最大限の配慮をしてきたのです。

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         <pubDate>Sat, 03 Dec 2011 10:21:48 +0900</pubDate>
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         <title>わたしとドイツ　2</title>
         <description>単純に「自由経済」と訳したほうがいいと思います。


これはマーケットにゆだねる自由経済をやれ、統制はよくない、ナチ時代の統制はだめだ、というところから出発しているのであり、要するに自由だということです。


資本の自由、貿易の自由ということを意味し、戦後まもない時期から実行されて、今日まで綿々と受けつがれてきたが、これは西ドイツの産業を強くする結果をもたらしたといえます。


ドイツ人の、ナチの統制を身にしみてよくないと考えていることのあらわれが、市場経済の考え方には反映されています。


彼らにはナチの否定が現在も発想の原点に明確に存在しており、必ずしも戦争を否定していない日本との違いを生んでいるのではないでしょうか。


日本人は集まると軍歌を歌いますが、ドイツ人は軍歌は絶対歌いません。


彼らには戦争中のナチ、ヒットラーと自分は関係ない、というアリバイを出さないと戦後は歩けないという考えが強くありますが・・・


日本には、おれは中国の○○でどうしていたとか、インドネシアの××でどうしていたとかいった具合に、戦争時代をむしろなつかしがって、おれはそこにいたということで自分のアイデンティティを主張する人びとがいます。


・・・こうした風土があるので、統制経済との決別が弱いのです。

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         <pubDate>Fri, 18 Nov 2011 10:20:22 +0900</pubDate>
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         <title>わたしとドイツ</title>
         <description>今でこそデュッセルドルフには日本の会社が何百とあり、日本人も7000人もいて、日本料理屋も繁盛しているようですが、当時は、日本の会社はぽつぽつといったところでした。


ただ、もうそのころ西ドイツの銀行は2週間に1回ずつ土曜日が休みになっていたから、いってみれば、4半世紀たってやっと、日本はちょうどそのころの西ドイツとほぼ同じになったわけです。


そこで私は貴重な体験をしました。


平価の切り上げでした。


私が西ドイツに行った当初、マルクのレートは1ドル=4マルク20でありましたが、その後すぐ5パーセントほど切り上げされ4マルクになったのです。


ポンドのように、切り下げというのはよくあることでしたが、その時・はじめて切り上げというものをまのあたりにし、これは大変なことだと思ったのを覚えています。


当時、西ドイツの経済運営のキーワードになっていた言葉に「社会市場経済」がありました。


「社会市場経済」というと社会主義的な統制経済と受け取る人が少なからずいますが、これは日本人的センスであって間違いです。

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         <pubDate>Wed, 12 Oct 2011 10:17:54 +0900</pubDate>
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         <title>新しい時代との調和　2</title>
         <description>アメリカのコラムニスト、ロバート・サムエルソンは、


「日本は、日本社会の孤立性・偏狭性とその自律性を守るために世界貿易を利用してきたのではなかったのか」


・・・と指摘しています。


日本・日本人が現状認識しなければならない第二の点は、このサムエルソンの指摘です。


第一の現状認識である、日本経済はある点で砂上の楼閣であるという現実、そして第二の現状認識です。


世界貿易の中で日本が今日までとってきた行動のこと、この2点に対して、わたしたち日本は、真摯な態度で、深く考えを及ぼすことができるならば・・・


戦後40年あまりの短い歴史的事実だけでなく、今日の現実にも謙虚でなければならないことがわかるのです。


大学を卒業して、銀行に入った私は、ドイツのいちばん大きな民間銀行のドイチェ・バンクにドイツの銀行業務を学ぶということで研修生のような格好で派遣され、およそ1年間、デュッセルドルフに滞在しました。


・・・これがはじめてのドイツ体験でした。


さらに、66年から71年まで、フランクフルトに開設された事務所の所長として、5年間あまり駐在しましたが、その後、しばしば出掛けるようになって今日に至っています。


デュッセルドルフに行った時、戦災によって壊れた建物などがまだそのままになっていたのが記憶に残っています。

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         <pubDate>Mon, 12 Sep 2011 10:15:39 +0900</pubDate>
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         <title>新しい時代との調和</title>
         <description>生産活動を行う際、絶対に必要なものは、資本・労働・資源の3要素です。


これらは生産の3要素といわれますが、このうちどれか一つを欠いても、生産活動はできないでしょう。


日本の産業構造は擬制の自前主義です。


これは、日本が国内に自己調達できる資源を決定的に欠いているためでありますが、これに対してアメリカは、現在、仮にバランスを崩しているにしても、生産の3要素を国内で自己充足できる国家なのです。


・・・その意味でアメリカは、真の自前主義経済が可能な国なのです。


その点、日本の経済は3つの柱すなわち、資本・労働・資源のうち、資源という柱が一本、決定的に欠ける砂上の楼閣であるといっても過言でないでしょう。


日本・日本人が、現状認識として頭のなかにしっかりたたきこんでおかねばならない第一の点は、このことです。


そして、この砂上の楼閣が可能であったのは、世界の自由貿易体制の恩恵があったからで、そして日本がそれを十ニ分に享受し、それが許されてきたのは、日本がキャッチ・アップの過程にあったからです。


・・・しかし、世界一の債権国になったいまの日本には、それだけでは許されないのです。

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         <pubDate>Tue, 23 Aug 2011 10:14:21 +0900</pubDate>
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         <title>車の初心者講座</title>
         <description><![CDATA[フェンダーミラーの写影は、水平線がミラーの中央に、自分の車が4分の1、外部の風景が4分の3ぐらい映るようにします。


ドアミラーの場合も、水平線が中央に映るようにして、自分の車は4分の1ぐらい映るようにしたほうがよいでしょう。


手動式のものは、フェンダーミラーにしても、運転席の反対側のドアミラーにしても、目の位置がミラー正面にくるようにボデーにそってかがみ込み、その位置で運転席が映るようにあわせます。


運転席側のドアミラーは、そのまま手を伸ばして調整します。


電動式のものは、左右のミラースイッチを調整する側に入れ、コントロールノブで調節します。


以上は、<a href="http://www.menkyo-pts.jp/" target="_blank">合宿免許</a>でも聞くことができます＾＾

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         <pubDate>Mon, 15 Aug 2011 11:36:34 +0900</pubDate>
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         <title>愛犬の無駄吠えを防止する方法</title>
         <description><![CDATA[犬がいつも元気でいるためには、規則正しい食事と睡眠・・・


そして適度な運動と手入れが重要なポイントです。


しかし、これらを実行していてもさまざまな要因で病気を背負いこむこともあり、


「あんなに元気だったのになぜ？」


・・・ということも少なくありません。


ここでは飼い主の十分にゆきとどいた管理で防ぐことのできる病気を中心に、その予防と手当ての実際をみることにします。


たとえばフィラリア症は蚊が媒介する病気で、原因となる蚊を徹底的に駆除することで予防でき、愛犬を"死に至る病"から救えるのです。


犬がかかりやすい病気の原因を知り、それに対処してしっかり予防してください。


無駄吠えには<a href="http://kongo.ocnk.net/" target="_blank">無駄吠え防止</a>グッズを使用することが大切です。


愛犬との快適ライフは健康であることからはじまります。

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         <link>http://smartdecision.info/2011/07/post_27.html</link>
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         <pubDate>Mon, 11 Jul 2011 11:26:32 +0900</pubDate>
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         <title>手相術・人相術</title>
         <description><![CDATA[一般に手相術・人相術などの名で知られる、その形態からそのもののもつ運命・性格などを読みとる占いのことを総称して相術といいます。


したがって、占星術の補助学的な性格をもっていた西洋の手相術・人相術よりもずっと広い概念をもちます。


現在も根強い信者をもつ印相術も相術の一つであり、このほか剣相術、動物の性格を判断する相牛・相馬・相狗・相鶏といったものもありました。


土地の性格を読みとり、子孫繁栄する家や墓地の建て方を判断する風水も、広義の相術に含まれると考えられるが、これについてはコラムで触れることにして本文では扱わないことにします。


世の中には色々な占いがありますが、<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>だと思います。
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         <link>http://smartdecision.info/2011/06/post_26.html</link>
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         <pubDate>Tue, 07 Jun 2011 19:56:42 +0900</pubDate>
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         <title>通信の価格競争　2</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://fax.toones.jp/" target="_blank">インターネットＦＡＸ</a>などの技術進歩がもたらした競争環境の変化に、規制緩和、制度の変更が後から追いかけたといったほうが当たっています。


・・・しかも、規制緩和は官僚が主体的に取り組んだというより、世論に押されてやむなく実行した側面が強いのです。


規制緩和だけが情報通信ビッグバンの引き金ではありません。


NTT再編劇も、日本通信業界の再編、国内ビッグバンを促す要因となっています。


・・・それにしても、日本の情報通信ビッグバンは、何が原因で何が結果なのか理解しにくいですね。


その理由は各方面の変化が同時進行し、視界が不透明なためです。


通信自由化以後のNTT再編劇の展開、技術革新の進展、規制緩和の流れ、海外からの圧力などが複雑にからみあって現在に至っています。


それらの関係を知っておくことは、日本の情報通信ビッグバンの行方を占う上で重要です。


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         <link>http://smartdecision.info/2011/06/2_4.html</link>
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         <pubDate>Mon, 06 Jun 2011 13:13:09 +0900</pubDate>
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         <title>通信の価格競争</title>
         <description><![CDATA[全国どこにいても、<a href="http://fax.toones.jp/" target="_blank">インターネットＦＡＸ</a>などの安い通信環境が提供されることになれば、東京一極集中などの産業構造、社会構造・・・


ひいては政治のゆがみをただす可能性もあります。


通信の価格競争は単に価格競争に終わらないのです。


価格破壊がもたらされた背景は、通信業界における競争の進展と技術進歩の成果でした。


競争が進展したといっても、通信自由化、つまり電電公社が民営化されただけで、競争状態が実現できたわけではなかったのです。


93年以降、徐々に進んだ規制緩和も競争を加速しました。


しかし、日本の場合、残念ながら自由化、規制緩和が価格破壊の主役ではなかったのです。


日本の規制緩和は、世界の激変に促されながらの規制緩和であり、小出しの連続でした。


・・・とはいえ、自由化と規制緩和がなければ、価格破壊は起きなかったことも事実です。


日本の規制緩和は、NTTの分離分割論議と深く関わりあいながら進められたことが最大の特徴です。

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         <pubDate>Sat, 28 May 2011 13:12:14 +0900</pubDate>
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         <title>1940年代のアメリカ農業　4</title>
         <description>シンプロットは再び借金の工面をしなければならなかったのです。


最初、彼はパーマの町に腰をすえ、初めて乾燥タマネギを生産しました。


しかしそこは出荷には地の利のわるい場所でした。


結局、彼は町長の調停を頼んで、アイダホ南部では最大のタマネギの産地の真ん中にあるコールドウェルに適当な土地を準備しました。


その土地は町の西方ニマイルのところを通る鉄道線路に接し、ワイルダーに至る道路沿いにありました。


ここにジャック・シンプロットは、灰色のコンクリート・ブロックと鉄と木材で、悪臭を放つ工場を建てました。


その工場は地元では〈涙の家〉として知られるようになりましたが、名前の由来は説明するまでもないでしょう。


4基の石油炉、送風機、スライサー、フレーキング、粉砕機および包装機械を備えたこの建物は、やがてその地域から隣のオレゴン州におよぶ農家に嬉し涙を流させたタマネギ・ブームの中心となりました。


低級品のタマネギにも買手がつくとなれば、農家はきずもの無しと保証のついたものにはこれまでより高い価格をつけることができるわけです。


・・・かくして、アイダホ産のタマネギは一挙に高級品となりました。


しかし潤ったのは農家だけではなかったのです。

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         <pubDate>Mon, 11 Apr 2011 13:51:35 +0900</pubDate>
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         <title>1940年代のアメリカ農業　3</title>
         <description>ようやく輸出業者がオフィスに戻ってきて、期日は遅れても負債は完済すると言ってシンプロットを驚かせました。


そのとき、彼はどこでタマネギの加工をしているのかとさりげなく尋ねました。


相手は質問をはぐらかし、そのためにいっそうこのアイダホ男の好奇心は高まりました。


オフィスを出る時、輸出業者のトラックが一台車寄せを出ていくのがシンプロットの目に入りました。


その車を工場までつけていって、そこで使っている機械はカリフォルニア州セント.ヘレナにあるニップチャイルド・プルーン製の乾燥機だということをつきとめました。


シンプロットは車に駆けもどると、ナパ・ヴァレーを通ってセント・ヘレナに車を走らせ、ニップチャイルドに着いたのは暗くなる寸前でした。


彼は7月1日までにアイダホ渡しということで、トンネル式乾燥機6台分を即金で支払い、またパウダーとフレーク製造用の縦型ハンマー式製粉・撹絆機のつくり方もニップチャイルドから教わりました。


1日かけただけのことはあった、とシンプロットは車に戻りながら思いました。


しかし彼には、まだこの事業がよくわかってはいなかったのです。


アイダホに戻ったシンプロットがまず最初に力を入れたのは、農家と輸送機関のいずれにも足場のいい工場用地を探すことでした。


1940年秋までに、数か月間をかけて、アイダホのタマネギ産地一帯のボイスおよびペイエット川沿いを隈なく回り、タマネギの臭いは大嫌いですが、それでも彼の金はそれ以上に欲しいという、そんな地主や町を探しました。


しかしその金にも問題がありました。


約束したソーコールからの資金5万ドルが届かないのです。

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         <pubDate>Fri, 11 Mar 2011 13:49:16 +0900</pubDate>
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         <title>1940年代のアメリカ農業　2</title>
         <description>「タマネギは私のところにあります。


私がアイダホでパウダーとフレークを作りましょう」。


・・・2人は封筒の裏に契約書を書きました。


『1940年10月1日以前に、ミスター・J・R・シンプロットはアイダホ渡し、ポンドあたり21セントでオニオン・パウダー30万ポンド、およびアイダホ渡し、ポンドあたり31セントでオニオン・フレーク20万ポンドの積送を開始することに同意する』。


ミスター・ソーコールはシンプロットの脱水装置に5万ドルを投資することにも同意しました。


2人はこの取引をまとめ、輸出業者のオフィスに戻りました。


こうしてミスター・J・R・シンプロットは、どのようにして乾燥オニオン・パウダーやフレークを製造するのかはっきりとした見通しも持たぬまま食品加工業を始めることになりました。


ここでもシンプロットは生涯の信条とした企業家の守るべき訓戒に従ったまでです。


いわく、『機いたれば、汝それをなさざるべからず』。


ところが、たてまえとしての彼のモットーはまるで別のもので、約25年間というもの彼のデスクの小さな金属製の飾り板にはこんなことがいかめしく記され、椅子を引寄せるたびに彼に語りかけているのでした・・・


『およそ考えうるかぎりの難点をまず克服せずして、何事も試むべからず』。


これに従えば、脱水機や粉砕機あるいはフレーキング・ミルも持たず、それらの機械を製造する手掛かりすらなしに、脱水・粉末化し、あるいはフレーク状に加工した50万ポンドのタマネギの荷渡し契約書にサインするなどまったく論外なはずです。


しかしJ.R.シンプロットはこれこそ好機とみて取り決めたのでした。

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         <pubDate>Fri, 11 Feb 2011 13:47:43 +0900</pubDate>
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         <title>1940年代のアメリカ農業</title>
         <description>1940年春、ジャック・シンプロットはカリフォルニァ州バークレーまで車をとばしました。


その地域のタマネギ輸出業者が、まだ支払いは済んでいないが、なぜ屑(あるいは不合格品の)タマネギに8400ドルもの値をつけたのか、その理由を確かめるためです。


もちろん金も欲しいですが、相手がタマネギになぜこれほどいい値をつけたのか、そのことが知りたかったのです。


早起きをして、でこぼこ道をアイダホからカリフォルニアの海岸沿いに1日がかりで車を走らせました。


その夜遅くバークレーのホテルで車を停め、翌朝8時にその輸出業者の所に着きました。


オフィスの女性はボスは来ていないと言いました。


結構、来るまで待とう、とジャックは言いました。


2時間後の10時に、ひげ面の老人が入ってきました。


これが債務者だと思ったシンプロットは近づいて声をかけましたが、彼はソーコールといって、オニオン・フレークとオニオン・パウダーが期日に届かないわけを確かめにきたのでした。


2人はそろって腰を下ろして正午まで待ちましたが、それでも輸出業者はやって来なかったのです。


昼を過ぎた頃、シンプロットの頭に突然ある考えがひらめきました。


彼はひげもじゃの老商人をバークレー・ホテルまで昼食に誘いましたが、これが彼の運命を決めることになりました。


「あなたはオニオン・パウダーとフレークを求めておられますね」とジャックは言いました。


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         <pubDate>Tue, 11 Jan 2011 13:46:06 +0900</pubDate>
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